親鸞聖人とはどんな人だったのですか?  (江東区Wさん)

これまた大きな質問ですね。
そう、ちょうど金子大榮先生(1881.5.3~1976.10.20)の作られた詞がありますので、それを紹介しておきましょう。
少し難しい言葉ですが仮名をふっておきましたので味わって読んでみてください。

「親鸞」 作詞:金子大榮(かねこだいえい)

昔(むかし)  法師(ほうし)あり
親鸞(しんらん)と名づく
殿上(てんじょう)に生まれて 庶民(しょみん)の心あり
底下(ていげ)となりて 高貴の性(せい)を失(うし)なわず

已(すで)にして 愛欲(あいよく)の断(た)ち難(がた)きを知り
俗に帰れども 道心(どうしん)を捨てず
一生凡夫(ぼんぶ)にして
大涅槃(だいねはん)の終わりを期す

人間を懐(なつ)かしみつつ 人に昵(なじ)む能(あた)わず
名利(みょうり)の空(くう)なるを知りて 離れ得ざるを悲しむ
流浪(るろう)の生涯に 常楽の郷里(ふるさと)を慕(した)い
孤独の淋(さみ)しさに 萬人(ばんにん)の悩みを思う

聖教(しょうぎょう)を披(ひら)くも 文字を見ず
ただ 言葉のひびきをきく
正法(しょうぼう)を説けども 師弟を言わず
ひとえに 同朋(どうぼう)の縁をよろこぶ

本願を仰(あお)いでは
身の善悪をかえりみず
念仏に親しんでは
自(おの)ずから 無碍(むげ)の一道を知る

人に知られざるを憂(うれ)えず
ただ 世を汚(けが)さんことを恐る
己身(こしん)の罪障(ざいしょう)に徹して
一切群生(ぐんじょう)の救いを願う

その人逝(ゆ)きて 数世紀
長(とこし)えに 死せるが如し
その人去りて 七百年(しちひゃくねん)
いまなお 生けるが如し

その人を憶(おも)いて われは生き
その人を忘れて われは迷う
嚝劫(こうごう)多生(たしょう)の縁
よろこび つくることなし

親鸞聖人について

親鸞聖人についての詳しくは
「東本願寺TOMO-NET」をご覧ください。