先日『一個人』という雑誌(7・No.122)に「日本の仏教入門」と題する特集がくまれ、そこに作家の五木寛之さんの「親鸞とは何者だったのか?」というインタビュー記事が掲載されていました。さすがに作家だけに大胆に時代状況や親鸞聖人の思想をとらえていて、興味深く読ませていただきました。
五木さんは、今日の仏像ブーム、仏教ブーム、反響を呼んだNHKの無縁仏についての放送、小説『親鸞上下』の好調な売れ行きは、人びとのなかに死生観への関心が高まっていることが底流としてあるといわれます。
現代は「うつの時代」といわれます。国連の統計によれば4人に1人が抑うつ状態にあり、日本 では12年連続して自殺者が3万人を超えています。そういう時代に、何を頼りにして生きていくか。人びとは精神世界での自分の安定、希望を求めていると五 木さんはいわれます。今やカルチャーとしての仏教ではなく、日常に自分たちがいかに生きるか、そして、いかに死ぬかということが切実に考えられているとい うのです。
五木さんは、親鸞聖人は悩む天才だったといいます。現代人の百倍も千倍も悩み抜いた人だと。 「罪業深重(ざいごうじんじゅう)の凡夫(ぼんぶ)」これが親鸞の人間観の土台です。親鸞は今この時代に希望を持って生きる道を模索した。臨終にこだわる ことなく、来迎(らいごう)を待つことなし。つまり死ななくても人間は再生できる。希望を持ち念仏を称えて、悪を抱えた我を懺悔(さんげ)することで徹底 的に新しい人生に生まれ変わることができると。親鸞が与えようとしたものは、闇の中の光、希望。末世(まっせ)に希望を語った人、それが親鸞なのだと。
五木さんは最後にこうまとめています。人間は悪を抱えている存在であるということをヨーロッ パでも今ゆっくりと気づき始めています。社会習慣としての仏教ではなく、死生を問う仏教が求められている現在、昔の先人の中で希望の星を探すとすると、親 鸞以外にはいないといってよいでしょうと。