セリーヌ・ディオンの歌はすてきですね。でも歌詞の内容について知っている人は少ないのではないでしょうか?それでもいい歌だと感じる、そういう感性をもともと日本人は持っているのではないかと思います。
そういう意味では、お経の時間は、経典の意味は伝わりませんが、ひとつの瞑想の時間だと言えるのかも知れません。
真宗大谷派の声明は、およそ本願寺8代・蓮如上人から始まりました。500年の歴史がありま す。日本語で経典を読もうとする試みもないではありませんが、広く伝わるほどのものにはなっていません。それほど現在に伝えられる声明が宗教儀式として完 成の域に達しているということだと思います。
日本の伝統仏教の儀式作法、声明の素晴らしさは、他国の仏教寺院のそれとは雲泥の差があります。日本人のこだわり、感性のきめ細やかさがなせる技だと思います。茶道・華道・香道・書道と、すべてを道にするほどです。
そうは言っても、本当は儀式と内容が一致していればいいのですが、『阿弥陀経』や『正信偈』については和訳を載せてありますので、そちらをご覧ください。