2002年6月13日から20日までの旅行でした。西安・敦煌・トルファン・ウルムチ・西安と回り、移動は飛行機と夜行列車とバスです。総勢13名。近燐の住職たちに、明順寺から2名のお檀家さまも加わりました。
有名なところでは西安郊外の「兵馬俑坑(秦俑博物館)」、敦煌では「莫高窟」を見学しました。
「莫高窟」で印象的だったのは、158窟(有料)。中唐に造られた16メートルの釈迦涅槃像が安置されています。頭の上のほうからお顔を眺めると、実にやわらかいお顔で、思わず合掌礼拝してきました。
57窟(有料)には、初唐に描かれた観世音菩薩像があります。平山郁夫画伯をして「私の恋人」と言わしめた、なるほど美しい壁画ですが、その一言で無料窟が有料になってしまったということです。
しかし、やはり心に重く残りましたのは、玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)のご苦労でありま す。玄奘(600~664)は、629年に長安を出発してから幾多の苦難をへてインド各地をたずね、645年に帰国。仏像・仏舎利のほか650部におよぶ 経典を持ち帰り、19年間にわたり多くの弟子たちとともに仏典漢訳の大事業を行います。
また彼の前代未聞の地誌『大唐西域記(だいとうさいいき)』は、インド・中央アジアを知る資 料として尊重されるばかりではなく、10世紀以後は講談の材料とされ、4大奇書の『西遊記(さいゆうき)』にまで発展し普及しました。ちなみに玄奘はお釈 迦さまの生誕地ルンビニーも訪れています。
トルファン郊外の「高昌故城」には、玄奘が国王に懇願されて説法した場所が復元されています。高昌国王は熱心な仏教信者で、玄奘にとどまるように説得します。これに対し、玄奘は4日間の絶食をして抵抗します。
最終的に1か月の滞在と、帰国してから3年の滞在を約束してインド行きを許可されました。玄奘が法座に登るとき、国王は身をかがめて踏み台になって奉仕し たといいます。残念ながら玄奘が帰国すると、高昌国は唐に滅ぼされていました。
また、西安にある「大雁塔(大慈恩寺)」。これは、唐代の建物でありますが、玄奘が持ち帰った膨大な経典を保存するために建てられた搭であります。西安の「禅林(陜西省博物館)」には、玄奘三蔵の姿が石碑に彫られたものが保存されています。
訪問地:兵馬俑坑・華清池/陽関・敦煌故城(映画村)・敦煌夜市/莫高窟・敦煌石窟文物保存 研究陳列所・敦煌芸術品展示館・鳴沙山・月牙泉/宏泰市場・夜光杯工庁・敦煌博物館/ベゼクリク千仏堂・アスターナ古墳群・高昌故城・火焔山・カレーズ楽 園・交河故城・吐魯番商城・ウイグル族の民族舞踊/紅山公園・天地/西門・青龍寺/大雁塔・和楽茶芸館・禅林(8日間)
参考:奈良県にある「薬師寺」 http://www.nara-yakushiji.com/guide/index.html
には、玄奘三蔵の遺骨が奉られています。