大学病院に献体するまでという限られた日にちの中で、どのように葬儀をお勤めしようかと何度もいっしょに考えることができましたのは貴重な経験でした。
幸いにゆっくりお経があげられ、法話をする時間もとれ、私自身、長年ご厚誼をたまわったKさんにお別れができましたことに感謝を申し上げます。
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お経は、亡くなった方の成仏を祈ってというのが一般的な考え方ですが、言われるとおり実は自分のためであったと。
私たちは、日常、自分の思いの中で生きていますから、なかなか父親の死をうけとめることができません。
でも、おっしゃられていたように、お経にあって、家に私一人になってしまったことを受けとめることができたと。
そう、それがお経の功徳であり利益であるのだと思います。
きびしいことですが、現実をしっかりと受けとめて、これからの毎日を過ごしてくださるようにお願いします。
お父さまも応援してくださっていますよ。